幽愁

現代における「失われたもの」と
その回復への「祈り」について

幽愁

現代における「失われたもの」と
その回復への「祈り」について

「大変なことが起こっている」。誰もがそう感じざるを得ない変化が、しかもおそらく数百年から数千年もの間決して起こることのなかった変化が、たった数ヶ月の間に起こってしまった。

小沼(こぬま)。

群馬県・赤城山の山頂部、標高1,450メートルに位置する火口湖。直径約700メートル。流入する河川はなく、その水源は湧水と雨水に限られている。外界からの土砂や生活排水の影響を受けにくく、太古から変わらぬ透明度を保ってきた、閉鎖的な水系だ。南岸には水門と水路が設けられ、麓の粕川の水源として、永きにわたり人々の生活を潤してきた。


群馬県庁が居を構える前橋駅から、車でほんの1時間ほど。赤城山の山頂部に古来よりひっそりと佇むその湖は、30分もあればほとりを一周できてしまう小さな湖であるにもかかわらず、見るものを否応なく惹きつける厳かさを帯びていた。古くは水神が宿る「神域」とされ、雨乞いの儀式が行われてきた歴史もある。全国に300社以上ある赤城神社の総本社の一つで、古来より赤城山を見守ってきた三夜沢赤城神社の宮司・眞隅田吉行(ますだ・よしゆき)ですら、小沼に足を踏み入れるときは、その霊力の強さから震えが止まらなくなることがあるという。

赤城山の頂に厳然と存在し、自然や人々の暮らしを見守ってきた小沼。
地域の絶対的なシンボルとも言えるこの大切な場所の湖の水が、なんとたった数ヶ月の間に、半分以下になってしまった──。

毎月数回、深夜一時頃。誰もいない小沼を訪れるのが、ソウワ・ディライト代表取締役、渡邉辰吾(わたなべ・しんご)のルーティンだ。


人の気配が完全に消え、漆黒の闇に包まれる、真夜中の湖畔。そこは、人間社会のあらゆるノイズが遮断され、否応なしに霊性を感じ取ってしまう場所だ。自分ではひらけない、眠った感覚が、静寂の中で沸き立つ。

「『Wilderness(ウィルダネス=原生)』、つまりまだ人の手が入っていない聖域とは、こんな場所なのかもしれません。深夜の小沼は、地球のゼロポジションを感じさせてくれて、人としての原点に立ち返らせてくれる場所なんです」(渡邉)

2025年春頃。渡邉はそんなルーティンの中で、明らかに異様な事態に直面した──水面がどんどん低下しているのだ。

当初は「最近あまり雨が降っていないから水不足なのだろうか」とも思っていたという。しかし、水が減るペースが、あまりにも速すぎる。またたく間に水位は半分以下に低下し、かつて水底だった場所が広大な陸地となって露出する「干上がり」同然の状況に陥ってしまった。

少雨・高温による影響か。刻々と進む気候変動の帰結か。明確な原因は未だわかっていないが、変わり果てた小沼の姿は、渡邉に深い悲しみを抱かせた。


「古来より何千年もかけて紡がれてきた小沼の景色が消えゆくことに、圧倒的な悲しみと憤りを感じています。この状況に対して何もできない自分への無力感にも苛まれ、しばらく塞ぎ込んでしまいました」(渡邉)

たとえば公に向けて何らかのメッセージを打ち出すことで、この危機的な状況を少しでも世に訴えかけることができるかもしれない。しかし、その一方で対立と分断を助長し、「美しい未来」から遠ざかってしまうのではないか、という懸念もあった。とはいえ、その間にも状況は好転せず、さらなる水位低下がいつ進行するかもわからない。

そこで渡邉は一念発起した──「自分にできることは、祈ること。そしてこの危機をできるだけ多くの人に知ってもらい、解決の糸口を探ることだ、と」。

大地との対話としての「幽愁」

大地との
対話としての「幽愁」

2025年9月7日。

小沼の湖畔に降り立つと、そこには渡邉が深い悲しみの中に沈んでしまうのも無理はないと理解できてしまう、凄惨な光景が広がっていた。本来であれば、見るものを惹きつける厳かな水をたたえているはずの湖。その湖面が、無残なほどに後退している。岸辺には、本来水底に沈んでいるはずの土がむき出しになり、まるで湖が悲鳴を上げているかのような光景が広がる。


乾燥した土はひび割れ、ところどころに以前の波打ち際だったラインの名残が、年輪のように刻まれている。数ヶ月前まで、魚たちが泳ぎ、水草が揺れ、水面が空を映していた場所だ。それが今では、乾いた風が吹き抜けるだけの荒野となっている。

そんな乾ききった大地の上に、異質な物体が鎮座していた。

スピーカー、アンプ、何本ものケーブルの束。最新鋭の音響機材だ。太古から続く自然のウィルダネスと、文明を象徴するかのような機材。その一見すると交わるはずのない二つが同居している。

稀代のアンビエント・アーティストである冥丁(めいてい)──といっても、冥丁自身は一度も「アンビエント・ミュージック」の作曲を志したこともなければ、そのようなシーンの流れに準じた音楽を創造したいと思ったことはないという──による奉納演奏「幽愁(ゆうしゅう):誰もしる事の無い深い悲しみ」が、間もなく開演する。この前代未聞の演奏の場であり、「雨乞い」という儀式の場を設えることこそが、渇きゆく小沼に対して取りうる祈りとして、渡邉が出した答えの一つだった。


シーンを代表するアーティストである冥丁の演奏であるにもかかわらず、観客はまばら。事前告知やチケット販売は一切行わず、小沼のこの惨状を理解し、未来のために一歩を踏み出してくれると渡邉が判断した者だけが招かれた、完全にシークレットなイベントだからだ。

「今回は、対象が完全に『小沼』なんです。小沼に対して、私たちが何ができるか。それだけの思いで企画しました」(渡邉)

だからこそ、開催時刻も人間にとっての都合の良い時間ではなく、天体的な意味を持つ一点に定めた。「白露点(はくろてん)」。二十四節気の一つ「白露」を迎える瞬間。太陽黄経が165度に達し、大気が冷えて露が結び始める時。

この時間を提案したのは、暦の研究家であり「地球暦」を提唱する杉山開知の思想に共鳴する、Kenji "Noiz" Nakamuraだった。「せっかくだから、白露点の分数まで正確に合わせましょう」。2025年の白露は、満月と皆既月食が重なる稀有なタイミング。海王星と土星も165〜180度の間に位置することも重なり、「水」の惑星・地球に太陽系全体も呼応しながら水も深く影響を受けるであろう最適な一点が導き出された。

その時を待つ間、辺りは徐々に色を失い、山頂特有の冷涼な空気が支配しはじめる。最低気温ですら30℃をゆうに超えていた下界の残暑が嘘のように、羽織りものなしには震えてしまう気温。

「雨乞い」という古来の目的を持ちながら、そのアプローチはきわめて現代的かつ天文学的だ。惑星の運行という巨大な時計に、自分たちの呼吸を合わせようとする試み。それは人間中心の時間軸から、地球中心の時間軸へと意識を移行させるための場でもあった。

白露点、17時52分。定刻。

司会のアナウンスも、派手な演出もない。ただ、世界がその「点」に達した瞬間、湖底に立つ一人の芸術家──冥丁が、松明(たいまつ)のかすかな明かりと、深淵をのぞかせる荘厳な湖面をバックに、音を放った。

スピーカーから流れるのは、単なる電子音ではない。別府で採取したという「泥の音」や、大地から湧き出る「熱の音」、そして「水の音」。これらは、彼の近作『泉涌(せんにゅう)』の制作過程で集められた、地球の呼吸そのものだ。

それはまるで、現実には失われてしまった小沼の水が、音の波となって幻のように満ちていく錯覚を引き起こす。目を閉じると、乾いた土の上に立つ足元を、見えない水がひたひたと満たしていくようだ。失われたはずの水が、音として還ってくる。


『COSMO』。冥丁が20代後半、精神的に追い詰められていた時期に、夜空を見上げながら孤独の中でつくり上げたという未発表曲。「宇宙」と名付けられたその楽曲は、今回のために40分という長尺に引き伸ばされ、再構築されていた。

気づけば日は完全に落ち、そこは漆黒の闇だった。

照明と言えるのは、揺らめく松明の炎と、機材のわずかなインジケーターランプの点滅のみ。現代の都市生活では決して味わうことのない闇。視界が閉ざされることで、聴覚が異常なまでに研ぎ澄まされる。

パチ、パチという松明の爆ぜる音。風が木々を揺らす音。遠くで鳴く虫や鳥、そして動物たちの声。そうした「環境音」が冥丁が紡ぐ重層的な音色と溶け合い、まさしく本来的な「アンビエント・ミュージック」(環境音楽)そのものとも言うべき音の風景が実現していた。


冥丁が奏でる音、山々から生まれる音。それらが渾然一体となり、場を包み込む。そこにいる人々は、「音楽を聴いている」というより、地球という環境そのものに浸っている感覚に陥る。

ふと空を見上げると、雲の切れ間から満月が顔を覗かせていた。「奇跡が起きる」──この演奏にあたって、渡邉はそう確信していたという。白露点と、満月。二つの天体現象が重なる夜。

青白い月光が、闇に沈んだ湖底をぼんやりと照らし出し、孤立して演奏する冥丁のシルエットをほんのりと浮かび上がらせる。


それは音楽ライブというよりも、何かの「交信」を見ているようだった。人間が、自らの手で損なってしまった自然の一部と再び回線を繋ごうとする、静かで、しかし切実な儀式。

気づけばオーディエンスも思い思いの場所に散らばり、ある者は腰を下ろし、ある者は月空を見上げ、ある者は音に呼応したダンスを踊りながら、冥丁がつくり出す「環境」──あるいは「大地」そのものとの対話に身を沈めていた。

冥丁の「孤独」と「強さ」、
あるいは「個人的なもの」について

冥丁の「孤独」と「強さ」、
あるいは
「個人的なもの」について

「あたたかい孤独な時間が流れているようでした」

冥丁は幽愁の時間をそう振り返った。その表情は、憑き物が落ちたように穏やかだったが、同時に、長旅を終えた直後のような疲労感と充実感が入り混じっていた。

実はその前日、彼は福井で開催された音楽フェス「ONE PARK FESTIVAL」に出演していたという。数千人の観客、豪華な照明、飛び交う歓声と熱狂。著名なミュージシャンたちが次々とステージに上がり、オーディエンスを沸かせる。

そうしたミュージシャンとしては「日常的な」熱狂の場から一転して、翌日には、誰もお客のいない暗闇の湖底でたった一人、自然と対峙するという「非日常」へと身を浸す。その激しい落差、非日常と日常の狭間の中に、彼は自身の表現の原点を見たという。

「暗闇の中で自分が一人ポツンと立っている。松明の音だけが聞こえて、自分が今どこにいるのかわからない……それは、僕が20代で作曲という人生を志した時に感じた、どこへ行けばいいのかわからない暗闇に相対する感覚と似ていました。運命に試されているような時間でしたね」(冥丁)


かつて彼が『COSMO』をつくったとき、ノイローゼになるほど自分を追い込み、孤独の中で夜空を見上げていたという。20代後半。まだ何者でもなく、自分の音楽が世界に届くかどうかもわからなかった頃。今の「失日本」という確固たるスタイルに辿り着く前の、混沌とした闇の中での模索。乾いた湖底の闇は、そんな彼の個人的な記憶を呼び覚まし、過去と現在を同期させたという。

今回の奉納演奏のタイトルである「幽愁:誰もしる事の無い深い悲しみ」。渡邉が直感的に名付けたというこの造語を、冥丁は深く噛み砕いていた。

「幽」は幽玄、幽微、あるいはかすかな存在。「愁」は憂い、悲しみ。そして「誰もしる事の無い深い悲しみ」という副題。それは単なる嘆きではなく、霞みゆく幽微な風景への静かなる愛惜だ。それは決して霞んで弱々しい存在という含意ではなく、多くの日本人にとって「自明」である印象だ。

「深い悲しみを経ないと、生み出せない行動やエネルギーがある」と渡邉は言う。今回の「幽愁」は、単なる環境保護のイベントではなく、自然という巨大な喪失を前にした者たちが、その悲しみを通過儀礼として昇華させるための、真摯な祈りでもあったのだ。

冥丁の代名詞とも言えるコンセプト「失日本(Lost Japanese Mood)」。それは単なるノスタルジーではない。近代化や商業化の過程で「不要」として切り捨てられ、失われてしまった日本古来の情緒や美意識を、音楽という形で掬い上げる試みだ。干上がった小沼の姿は、まさに現代社会が見捨てようとしている「失日本」の風景そのものだったのかもしれない。便利さや効率、エネルギー開発の影で、ひっそりと消えていく美しいもの。冥丁の音楽は、常にそうした「敗れ去ったものたち」への鎮魂歌であり、再生への祈りでもあった。

「日本的な印象を持つ音楽をつくろうとした時、それは幽微で、霞んだものになると思っています。でも、現代ではそういうものに対して距離が置かれている。市場価値が高いもの、わかりやすいもの、トレンドに乗ったものばかりがつくられ、個人的で幽微な世界は失われている」(冥丁)

冥丁は静かに、しかし熱を込めて語る。

「表現活動をしていると、年に何度か『こんなことをやっていて意味があるのか?』と迷いが生じてしまう時があります。商業的な価値が出るわけでもない、ただ自分が美しいと信じるものをつくるだけの行為に、疲れを感じることもある。でも、今回の小沼での体験は、そうした『幽微なもの』(自明でありながら)をつくり続けなきゃいけないという、ある種の強さを僕に与えてくれました」(冥丁)

冥丁は、干上がった湖に水を注ぐ代わりに、湖から「表現を続けるための確信」を受け取った。渇いた大地に音楽を捧げ、その対価として、表現者としての「強さ」を得て帰ってゆく。それは一方的な願いを超えた、相互的なエネルギーの交換だったのかもしれない。


20世紀を代表する哲学者ハンナ・アーレントは、自らとともにいる状態としての「孤独」(Solitude)を、誰からも切り離された「孤立」(Isolation)と切り分けて捉えた。孤独に耐えうる強さ。それは、湖底で彼が感じた「あたたかい孤独」の正体でもあったのだろう。

「個人的であるということが、もっと身近にならないといけないと思うんです。大きな主語や、社会的な正しさに飲み込まれるのではなく、個人が思う『日本』や『美しさ』をつくる。それが結果として、時代の一角をつくっていくのだと」(冥丁)

暗闇の中で彼が鳴らした「個人的な音」は、確かにあの夜、そこにいた人々の個人的な記憶の底に触れ、共鳴していた。冥丁の紡ぎ出す音は、乾いた場所に染み渡る水のように響き、その場にいた者たちそれぞれの中に個人的で静かな場所をつくり出していた。

二元的な視点を超えて
都市化による「ズレ」を調律する

二元的な視点を超えて
都市化による「ズレ」を調律する

すべての音が止む。演奏とそうではないものの境目が曖昧になり、穏やかな放心状態に置かれる者たちも少なくなかっただろう。

そんな中、主催者である渡邉の横顔には、安堵と、そして依然として消えない問いのようなものが浮かんでいた。

なぜ、電気工事会社であるソウワ・ディライトが、「幽愁」を設える必要があったのか。

一見、企業のCSR活動のように見えるかもしれない。だが、渡邉の語る動機はもっと切実で、根源的なものだ。

渡邉は以前、眞隅田宮司から「神上がり(かみあがり)」という言葉を聞いたことがあるという。神々がその土地を見限り、去ってしまうこと。小沼の水が引いていく様子は、まさに神が去っていく姿そのものに見えた。

「あそこは神域だから、本来は人が踏み入ってはいけない場所なんです。宮司さんですら、入る時には震えるほどの場所。それが、こんな姿になってしまった」(渡邉)

神域が、人間の開発によって侵され、ただの荒地へと変わり果てていく。


「悔やんでいるんです」と渡邉は言った。その声には、経営者としての顔ではなく、一人の人間としての痛切な後悔があった。

「もし数年前に、この小沼の価値をもっと多くの人に共有できていたら。ここが単なる調整池や観光地ではなく、私たちの精神性を象徴する『神域』だと広く認識されていれば。このような結果になる前に、食い止めることができたかもしれない」(渡邉)

そこに「結界」を張ることができなかった、自分たちの無力さ。数年前に冥丁をここに呼び、この景色を多くの人の心に刻み込んでいれば、見えないバリケードとなって開発を止めることができたかもしれない。

実は渡邉は、今回の異変が起きるずっと前から、冥丁に「いつか小沼で演奏してほしい」と打診していたという。冥丁のツアーに同行し、彼の人柄と表現に惚れ込み「この人なら地球と対話できる」と確信していたからだ。

「夢だったんです。小沼のあの景色の中で、冥丁さんに演奏してもらうことが」。その夢は、奇しくも「雨乞い」という形で実現することになった。

だからこそ、渡邉は今回、冥丁というアーティストに「本物」を見た。言葉や政治的なスローガンではなく、アートという非言語の力で、この場所に再び結界を張り直し、去りゆく神を呼び止めようとしたのだ。

ただ誤解してほしくないのは、渡邉は文明や経済そのものを完全悪として否定しているわけではないということだ。

彼自身、電気というインフラを扱う企業の人間だ。文明の恩恵も、経済の必要性も、痛いほど理解している。「Infinite Loop(インフィニット・ループ)」、それがソウワ・ディライトの行動指針だ。Service(事業)で得たFee(利益)を、Social(社会活動)へ還元し、そこからFuture(より良い未来)を生み出す──今回の「幽愁」もまた、一銭の利益も生まないどころか完全に持ち出しの企画だが、彼にとっては「Social」から「Future」へ繋ぐための不可欠な投資だった。


「二元的なものの間を漂いたい」と渡邉は言う。目指すのは、開発か保護か、文明か自然か、といった二項対立の闘争ではない。

「ちょうど最近、『もののけ姫』を観返したんです。あの中で描かれている対立──タタラ場と森、人間と神々は、どちらが正しいわけでもない。社会システムに対するアンチや、怒りだけで動いても、美しい未来は描けない気がするんです。人間には電気も必要だし、暮らしもある。でも、それが行き過ぎた時に立ち返るべきウィルダネスへの眼差しも絶対に必要です。その二つの間にあるバランスを、行ったり来たりしながら調整し続けること。今回の幽愁は、そのための儀式だったのかもしれません」(渡邉)


渡邉は、小沼へ通い続けることの意味を「ズレを確認するため」だと語った。都市での生活、ビジネスの現場では、どうしても効率や利益が優先され、人としての感覚が少しずつズレていく。そのズレを、小沼という「ゼロ」に合わせて調律する。今回の幽愁は、その調律を、たった一人ではなく、この場に居合わせた人々、そしてその後語り継がれることで知る人々と共に行うための、一つの調律装置だったのかもしれない。


「ヒト以外のすべてに祈る」

幽愁のフライヤーに刻まれたその言葉は、単なるロマンティシズムではない。私たち人間がこの地球で生き延びていくための、最も合理的で、かつ切実な生存戦略なのだ。

語り部となること。
そして「再生」へ

語り部となること。
そして「再生」へ

「終わってみたら、機材に霜が降りていて。何かの節目になったような気がしました」

冥丁は現場を思い返し、特に印象に残っている光景について話す。

白露点。大気が冷え、露が結ぶ刻。その名の通り、足元、そして機材の上には、白い霜が降り始めていた。それは、失われた水が、形を変えて再びこの地に還ってきたようにも見えてしまう。音は消え、また静寂が戻る。しかし、その静寂は以前の荒涼としたものではなく、何かが満たされた後の、豊かな沈黙に変わっていた。


山を降り、前橋の市街地へ戻ると、そこには変わらぬ日常がある。コンビニの明かり、街灯、信号機、車のヘッドライト。数時間前までいたあの漆黒の闇と静寂が、まるで遠い異国の出来事、あるいは白昼夢のように思える。

「下界」へと車を走らせるうちに、気温ももとの猛暑に戻り、羽織っていた上着をみな脱ぐ。再び「こちら側」の世界に引き戻されたことを、身体レベルで否応なく自覚する。

あれから数ヶ月。現実を見れば、小沼の水はまだ戻らない。あの夜の儀式で奇跡的に雨が降ることはなく、水位は依然として低いままだ。世界は相変わらず、経済の論理で回り続けている。

しかし、そこにいた人々の景色は決定的に変わっていた。

「失われたもの」を嘆くだけではなく、その不在の輪郭をなぞり、そこに「在ったはずの美しさ」を想うこと。その想像力こそが、次の未来をつくる再生のよすがになるのだと知ったのだ。あの日、あの場所にいた人々は、単なる目撃者ではなく、語り部となった。失われた風景を記憶し、語り継ぐという役割を、否応なしに帯びさせられた。

渡邉はインタビューの最後に、こう語っていた。

「今回の『幽愁』をきっかけに、冥丁さんに、小沼の曲をつくってもらいたいんです。それが生まれれば、また新しい小沼の見られ方が始まるはずだから」

冥丁もまた、「そういう未来を見てみたい」と応じる。この夜の記憶は、やがて一つの楽曲となり、世界中へ届くかもしれない。その時、小沼は物理的な水位を超えて、人々の心の中で満たされることになるだろう。

あの夜、渇いた湖底で鳴らされた音は、幻の水となってあの場所を満たし、そこに居合わせた人々の心に深く浸透した。それは悲しみの記録ではあるが、私たちが失われたものと再び出会い直すための、静かなるプロローグであった。

いつか、小沼に水が戻る日が来るかもしれない。あるいは、戻らないまま、新しい生態系が生まれるのかもしれない。どちらにせよ、私たちはもう、あの湖が他人事ではなくなっている。そこには、私たちの祈りと、現代の儀式の記憶が、地層のように刻まれている。